院長ブログ

「ありがとう」の話

こんにちは 

京都市中京区の歯科 たけち歯科の武知です。 

 

今日は、大嶋啓介さんの【夢エール】というメールマガジンから”ありがとう”の素敵なお話をご紹介します。

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私が結婚を母に報告した時、ありったけの祝福の言葉を言い終わった母は、私の手を握りまっすぐ目を見つめてこう言った。

 

「私にとって、澪は本当の娘だからね」

 

ドキリとした。

 

母と私の血がつながっていない事は、父が再婚してからの18年間、互いに触れて居なかった。

 

再婚当初幼かった私にとって『母』の記憶は『今の母』だけで、『義理』という意識は私にはなかった。

 

けれど、やはり戸籍上私は『養子』で、母にとって私は父と前妻の子なので、母が私のことをどう考えているのか分からなかった。

 

気になってはいてもそのことを口に出した途端、互いがそれを意識してちぐはぐな関係になってしまいそうで、聞き出す勇気は私にはなかった。

 

だから、母の突然でまっすぐな言葉に私は驚き、すぐに何かをいう事ができなかったのだ。

 

母は私の返事を待たずに

「今日の晩御飯、張り切らなくちゃだめね」

と言い台所に向かった。

 

私はその後ろ姿を見て、タイミングを逃したことに気が付いた。

そして、「私もだよ、お母さん」すぐそう言えば良かったと後悔した。

 

結婚当日も、母はいつも通りの母だった。

 

対する私は、言いそびれた言葉をいつ言うべきかを考えていて、少しよそよそしかった。

 

式は順調に進み、ボロボロ泣いている父の横にいる、母のスピーチとなった。

 

母は何かを準備していたらしく、司会者の人にマイクを通さず何かを喋り、マイクを通して「お願いします」と言った。

 

すると母は喋っていないのに、会場のスピーカーから誰かの声が聞こえた。

「もしもし、お母さん。看護婦さんがテレホンカードでしてくれたの。お母さんに会いたい。お母さんどこ?澪を迎えにきて。澪ね、今日お母さんが来ると思って折り紙をね…」

 

そこで声はピーっという音に遮られた。

 

「以上の録音を消去する場合は9を…」

と式場に響く中、私の頭の中に昔の記憶が流水のごとくなだれ込んできた。

 

車にはねられ、軽く頭を縫った小学校2年生の私。

 

病院に数週間入院することになり、母に会えなくて、夜も怖くて泣いていた私。

 

看護婦さんに駄々をこねて、病院内の公衆電話から自宅に電話してもらった私。

 

この電話の後、面会時間ギリギリ頃に母が息を切らして会いに来てくれた。

 

シーンと静まりかえる式場で、母は、まっすぐ前を見つめながら話し始めた。

 

「私が夫と結婚を決めたとき、互いの両親から大反対されました。すでに夫には2歳の娘がいたからです」

 

「それでも私たちは結婚をしました」

 

「娘が7歳になり、わたしはこのままこの子の母としてやっていける。そう確信し自信をつけた時、油断が生まれてしまいました。

私の不注意で娘は事故にあい、入院することになってしまったのです」

 

あの事故は、母と一緒に居る時に私が勝手に道路に飛び出しただけで、決して母のせいではなかった。

 

「私は自分を責めました」

「そしてこんな母親失格の私が、娘のそばにいてはいけないと思うようになり、娘の病院に段々足を運ばなくなっていったのです。今思えば、逆の行動をとるべきですよね」

 

そこで母は少し笑い、目を下におとして続けた。

「そんな時、パートから帰った私を待っていたのは、娘からのこの留守番電話のメッセージでした」

 

「私は、『もしもし、お母さん』。

 

このセリフを何度もリピートして聞きました。

その言葉は、母として側にいても良い、娘がそう言ってくれているような気がしたのです」

 

初めて見る母の泣き顔は、ぼやけてはっきりと見えなかった。

「ありがとう、澪」

 

隣にいる父は、少しポカンとしながらも、泣きながら母を見ていた。

 

きっと、母がそんな事を考えているなんて知らなかったのだろう。

私も知らなかった。

 

司会者が私にマイクを渡した。

 

事故は母が悪いわけじゃないことなど、言いたいことはたくさんあったけれど、泣き声で苦しい私は、言いそびれた一番大事な言葉だけを伝えた。

 

「私もだよ、お母さん。ありがとう」

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ありがとうございます。

素晴らしいお話ですね。いつも素直に「ありがとう」言ってます。